普段本を読まない人でも留置場に入ると本を読むようになる。テレビはなし、ゲーム機もなし、スマホもなし、ラジオは一日十五分ニュースだけ。七時起床二十一時就寝、こんな長い時間を何もせずにただぼーっと過ごすのは凡人には難しい。取り調べは人によるものの、毎日ある訳でもない。同房者と話が合えば気も紛れようが、独居だったり全く馬が合わなかったりすれば話もできない。鼻歌も歌えない。留置場でできる時間潰しは読書だけなのだ。
留置場に置いてある本は官本(かんぽん)と呼ばれる。個人の本は私本(しほん)だ。官本は小説、図鑑、漫画とあって小説が一番多い。漫画は『ONE PIECE』と『浦安鉄筋家族』が大量にある。小説はこの二十年くらいのエンタメだ。日本語の出来ない、カタコトしか話せない、本来なら通訳をつけるべき外国人も何人か入っていて、彼らは図鑑類を見ているようだ。
今回、官本の小説を何冊か読んだ。近年小説はあまり読まなくなっていたが、持ち込んだ『ソクラテスの弁明』だけではさすがにきつい。入っているのは最近売れている作家のものばかり、読んだことのある本は一冊もない。推理小説が多く、赤川次郎と内田康夫、東野圭吾は何冊もある。上野菜穂子と辻野深月は外でも読んでみようと思った。『ツナグ』の一篇には心を震わされた。小馬鹿にしていた『君の膵臓を食べたい』にも。読んでいて、女の子に振り回されるひねくれた男の子の一人称という形が好きなのだと気づいた。気づくの遅過ぎだ。大好きな『彼女の好きなものはホモであって僕ではない』と同じだ。こっちは差し入れてもらった。
私本でプラトンの『国家』は読了した。今は『イリアス』を読んでいて、上巻はそろそろ終わるが、何故か下巻が入ってこないので(なんで入ってこないのか想像はつく。僕の部屋から本を探すのは大変だろう。我儘言って申し訳ない。)全巻読破とはいかなそうだ(もちろん起訴されれば読破出来るがそんなの望む訳がない。)。トロイヤ戦争で英雄たちが殺し合い、神々が好き勝手に振る舞う世界文学史上最初の名作と謳われている作品だが、次々に名前だけあげられる英雄たちが同じ表現で大量に殺されていく物語のどこがいいのかさっぱりわからない。女は戦利品としか見なさず、十年も故郷を離れて略奪と殺戮に明け暮れる奴らのどこが英雄なんだろう。アガメムノンもアキレスもヘクトルも僕には糞野郎としか見えないんだけどな。僕にとっての英雄とは、例えば『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』の一人自ら逮捕されに行く主人公だ。
官本の、上野菜穂子の『鹿の王』はどういうわけか上巻しか入ってなかった。下巻を差し入れてもらったが留置場に置いて行くつもりだ。